人間として生きるの
人間として生きていけるかもしれない
分かってもらえるかもしれない、という勘違いを盛大にしてしまっている
私のことは私にしか分からないし、「私のことは私にしか分からない」ということを分かってもらうのがまず至難の業だ
でも、勘違いしそうになることは多々ある
分かってもらいたい故に勘違いさせてくれる人にホイホイついていくのをやめたい
Q.でもそれをしないと生きていけないよ
A.そうだね~どうしよう
だから困ってんだ
でも、みんな「勘違いさせてくれる人にホイホイついて行っている」訳ではないんだろうな
相手を理解できる、もしくは出来るかもしれないという希望に何の疑問も抱いていない
理解、分かるということの定義がそもそも違うのかな
きっとこれがある意味人間の定義なんだろうな
人間は社会的動物だからね
団体行動に支障が出る感覚を持ち合わせているのは間違いだ
人間になりたい
でもなろうと思ってなれるものではないし、人間と人間らしい付き合いをしたところで、それになれない自分が悲しくなるだけの気がする
でも!でも仮にだよ
ここで悲しくならなかったら、この先の人生を人間として生きていくことが可能ってことではないですか?
私に「この先の人生」なんて存在しないけど、それがポコッと表れたりしそう(しないよ)
てかまず他者を自らの人生の舞台装置みたいに思うのやめよう
はい